大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

新潟家庭裁判所 昭和45年(家)1005号 審判

申立人 藤沢むら(仮名)

主文

申立人の氏「藤沢」を「吉田」に変更することを許可する。

理由

一、申立人は主文と同旨の審判を求め、その理由は、

申立人は昭和二一年四月八日吉田真一と婚姻し、一男一女を儲けたが、事情があつて昭和三三年九月一五日当庁において調停離婚をした。しかし、まもなく、長男光夫の希望で申立人は吉田真一の許に帰つた。当時吉田真一は脳溢血で右半身不随となり昭和三四年一二月二七日死亡するまで身の廻りの世話をし、その後も吉田の家にとどまり、現在も長男等と一緒に生活している。申立人は吉田のもとに戻つた際に婚姻届をするつもりであつたが、吉田真一がまもなく意識不明となり、届出が不能となつた。申立人は長男等と生活を共にしているのに氏が異なることは非常に苦しいので、主文と同旨の審判を求めたい。

というのである。

二、調査の結果によると、申立人は昭和二一年四月八日吉田真一と婚姻し、新潟市○○○○の借家で同棲し、昭和二二年一月二八日長男光夫が、昭和二六年二月一八日長女宏子がそれぞれ出生したが、その後新潟大火の年(昭和三〇年)の春に現住所へ引越した。ところで、吉田真一は生活力に乏しく生活保護を受けていたのにかかわらず、いわゆる亭主関白で家庭内では妻子に絶対服従を要求し特に申立人が働きに出るのを嫌つていたので、申立人は子供達の生活費を捻出するため吉田真一と離婚して働きに出ることを決意し、昭和三三年九月一五日当庁において長男長女の親権者を吉田真一と定めて調停離婚し、婚姻前の氏「藤沢」に復した。そこで申立人は吉田家を出て親戚に身を寄せ、働きに出て吉田家に残した二人の子供に生活費を支給していたところ、離婚後約一年三月を経過した昭和三四年一二月一九日吉田真一が脳溢血で倒れ病臥したので、長男光夫の急報により同月二二日吉田方に戻り子供等と同居し、看護に当つたが、吉田真一は同月二七日死亡した。申立人は以後現在に至るまで吉田方で子供等と同居し、和裁と内職と生活保護で一家の生活を維持し現在に至つておる(但し、生活保護は約四年前に長女宏子が勤めに出てから打ち切られた)。申立人は子供等と同居した後は子供等と氏を同じくするため、婚姻中の氏である「吉田」の氏を称し日常生活をしてきた。もつとも、市役所その他公的関係では「藤沢」の氏を称していたが、子供達と氏を異にする事情を尋ねられ、せつない思いをしたことがあり、子供等も改氏を希望していることが認められる。

右認定によると、申立人は吉田真一と婚姻中に出生した二人の子供と氏を同じくするため離婚後既に一〇年余の長期間にわたり婚姻中の氏「吉田」を使用し母子一体となつて吉田方で社会生活をしておるが、申立人の氏が戸籍上「藤沢」であるため社会生活上不便を感じておることが明らかであり、他方申立人の氏を戸籍上「藤沢」から「吉田」に変更することにより社会生活上第三者の利益が害せられるような事情は認められないので、前認定の離婚のいきさつを併せ考えると、戸籍法第一〇七条第一項所定の氏を変更するやむを得ない事由があるものというべきである。

三、よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 久利馨)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例